清酒発祥の地として知られ、文化の源泉に重要な役割を果たす大和。
失われゆく自然を裏目に、未だ日本の自然と文化が脈々と息づいています。
奈良は、江戸時代の伊丹、伏見、灘など、酒の進行生産地が発展する以前は、醸造技術では先進地でした。
その中で酒を醸し続ける私たち葛城酒造は、大宇陀町(現宇陀市)にある本家(現久保本家・元禄年間創業)より明治20年に現在の奈良県御所市に分家。昭和48年12月近促法第8条により久保酒造から葛城酒造(株)に名称を変更し、現在に至ります。
奈良県神社庁の新誉祭用の濁酒を約500年前の醸造法を頑なに守り、醸し、納めております。
その一部は皆様にも販売しています。
地元奈良にこだわり、主要銘柄である「百楽門」を筆頭に、奈良県産酒造好適米「露葉風」を用いた純米吟醸や、奈良・正暦寺で創醸された「菩提もと」清酒の製造も行っております。
平成13年度より奈良県神社庁の委託を受け、この菩提もと製法とほぼ同じ仕込み方法で、毎年11月に執り行われる新穀感謝祭(宮中では新嘗祭)用の御神酒を製造しております。
このお酒は搾ることなくそのまま瓶詰めする為、お酒を「飲む」というより「食べる」感覚です。
平成14年度からは奈良県神社庁委託分と一般の皆様にご案内出来るようになりました。
清酒発祥の地として知られているのは、奈良市菩提山町の正暦寺(しょうりゃくじ)。秋には紅葉がとてもきれいな事で有名で、現在は本堂と講堂を残すのみの小さなお寺ですが、当時は数多くの堂塔伽藍が立ち並び、たくさんの僧をかかえていた大寺でした。
清酒は、約500年前の室町時代に中世の寺院で作られた「僧坊酒」がもととなり、完成されたと言われています。
奈良は、江戸時代の伊丹、伏見、灘など、酒の新興生産地が発展する以前は、醸造技術では先進地でした。
室町時代、足利義政は、奈良酒の中でも特に、奈良市菩提山町の正暦寺の酒を天下の名酒として褒めています。そんな正暦寺、現在の清酒の原型ともいえる「菩提(ぼだい)もと」(酒母)づくりが開発され、又、初めて清く澄んだ酒=清酒を作り始めました。
これはアルコール度数も高くて失敗しにくいため、この手法が全国にも広まりました。
このように近代醸造法の基本となる酒造技術を確立した正暦寺の境内には、「日本清酒発祥の地」の石碑が建てられました。この室町時代の酒づくりを現代にリニューアルする研究に、奈良県工業技術センターと県内の酒蔵メーカー14社が共同で取り組みました。
平成9(1997)年から、室町時代の文献『御酒之日記』や『多聞院日記』などを参考に研究を重ね、正暦寺境内からスクリーニング(微生物を採取・選抜)した乳酸菌と酵母菌を詳しく調査研究し、ついに、清酒造りに適した良質で再現性の良い菩提もと総合的製造法を確立しました。
平成10年12月に正暦寺が寺院としては全国で初めて国税局から酒母製造の免許を取得し、平成11年1月、500年ぶりに正暦寺での酒づくりの復活となりました。
「県菩提もとによる清酒製造研究会」に参加している県内14の酒蔵メーカーが酒母を各蔵へ持ち帰り、清酒にし、14の銘柄が発表されました。どれも個性豊かな純米酒で酸度とアミノ酸が高めの濃順旨口です。
「菩提もと」の特色は生米を使う点で、地元米の「ヒノヒカリ」と正暦寺境内の岩清水を使うことにあります。
1月には、「菩提もと」の製造作業が行われます。まず、176kgの生米を洗い、それを194kgの水と飯米とともにタンクに入れ、温度は30度に保ちます。やがて、乳酸菌が繁殖して、「そやし水」ができ、2日後には、生米を取り出して蒸し、更に「そやし水」と麹を混ぜて、15℃~17℃で、この「菩提もと」を使って、各々の蔵元で酒を造ります。